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2014年8月 6日 (水)

「ヒロシマを生きた少女の話」制作途中ですが公開しました

広島に原爆が投下されて今年で69年です。
来年の被爆70年目に向けて制作している「ヒロシマを生きた少女の話」を、途中ですが仮アップしました。
本当に仮アップなので、絵の入っているところ・アタリすら入っていないところなどあり見辛いと思います( ´・ω・`)
心の目で補足していただければ…(↓かなり途中な様子)
Hiro0050_3
ネームは出来てても、絵をいれる時間がなかなか取れないのですよ( ´・ω・`)

前回の祖母の体験談「原爆に遭った少女の話」を制作した時は、
自分の体験したことの無い事をさも語るのに罪悪感のようなものを感じ、結果登場人物に感情を乗せる事のない漫画になってしまいました。
今回「もうすこし感情を近づけてもいいのでは?折角漫画なんだし」と思い、そんな風に描いてみました。
「原爆ー」が体験談を描いただけなのに対し、「ヒロシマー」では戦争が二度と起きて欲しくないという増野さんのメッセージが入っています。

増野(旧姓:小西)幸子さんはその後、二人の子供・二人の孫に恵まれ、
昨年12月には二人目のひ孫が生まれたと聞きました。

原爆がなければナカモトさんと違った未来もあったのかもしれません。
でも、幸子さんにはその後の色々な人生があり、現在の幸せなご家庭があり。
それを否定する訳ではありません。ただ、原爆で負ってしまった傷、消えてしまった少女の夢を悲しいと思いました。

祖母が「あの日、御幸橋でみた被爆者の絵を描いてくれ」から始まった原爆の漫画ですが、
被爆者はあの時の惨状を忘れ去られないように伝えたいのではと感じました。

しかし今、その日の惨禍を伝えるものが無くなって来ています。
「はだしのゲン」の閉架騒動や、広島の平和記念資料館の被爆人形撤去の決定。
「その日・その時」を見る事ができるのは、8/6に御幸橋の上で撮影された写真一枚か「被爆者の描いた絵」だけになりました。
果たして、それでどこまで伝わるのでしょうか。

「はだしのゲンが怖くて読めない」という世代になって来た現代で、見る機会自体を無くしてしまおうというのは違うと思います( ´・ω・`)
被爆遺品など本物を使い、実相を正確に伝えること(by志賀館長)」も大事だと思いますが、まず人間がどうなってしまうのかがあってこその遺品だと思うのです。
叶うなら、被爆人形の撤去の撤回がありますように。→被爆再現人形撤去反対の署名活動ページ置いておきますね
いっそ、今の技術でもっと精巧な被爆人形を作って展示してしまえばいいんですよ。

8/5のホームテレビ「Jステーション」内で取り上げていただきました。予想より尺があって驚きました…。
8/4の中国新聞では増野さんの体験の伝承者候補が4人、体験聞き取りに訪問されている様子が載っており、家政女学校の話も続いていくんだと思うと有り難いです。
もう少し早ければ祖母も体験話せたんですけれど、最近は認知症が進んでおり、上手く話せない( ´・ω・`)

読んでくださった方に、有り難うございました。

ひろしmげんばくとう

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コメント

すばらしい作品を読ませていただきありがとうございます。完全版が出来ましたら購入したいと思います。

田代様>
読んでくださって有り難うございます。完成に向けて頑張ります。

ハムスター速報
http://hamusoku.com/archives/8479738.html
というところで紹介されていました。

当時にも本来の人間らしい感情、「戦争が終わって安心した・・・」と、安堵の感情があったのかと思うと、うれしくおもいました。

私、広島出身ですので、何十回と原爆の時の話は聞いていますが、内面明るく読みやすい内容だと思います。すばらしいです。

完成版期待しています。

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