« 2019年9月 | トップページ

2019年10月

2019年10月11日 (金)

「原爆之図」よりも四年も前に被爆者を描いた絵画があった

最近は調べ物をしています。平和祈念資料館の地下で蔵書をみせてもらったりコピーしたり。
肥田先生が逃した米兵捕虜らしき人の記述も発見、もし同じ人なら、あの後再び捕まり手と足を縛って転がされて…ううむ。
Img_0772

🚢 調べている間に、気になった記述を見つけました。
原爆の絵といえば丸木夫妻の描いたものが有名ですが、それよりも前に描いたものがあったというもの。

『プレスコードで新聞記事も文学作品も、絵画すらも規制された。
 大橋成一は九月、喪谷画伯に頼んで広島に同行してもらい、原爆症患者の姿を水彩画に残してもらった。
 画伯は正視するに忍びない犠牲者の苦しみや悲しみを、立派な芸術に昇華させ、20枚の絵にまとめあげた。
 有名な丸木夫妻の「原爆之図」が作られるより四年も前のことで、原爆直後に原爆を描いた唯一の芸術作品であった
 作品の内容からいっても、廃墟となった広島の風景画ではなく、絶望の中から立ち上がろうとする被爆者の姿を描いたもので、すぐれた着想だった。
 ただ、苦心の名画は出来上がるや否や、リボー中佐が全部アメリカに持ち去ってしまった』

リボー中佐といえば、占駐軍でやってきた原爆災害調査団の病理部主任。
日本の研究者がとっていた被爆者のデータや検体を持って行ったり、それを使って勝手に研究発表したり色々した方。
絵画まで持って行っていたのか…とネットを調べていると、画伯の描いた絵をアメリカで見つけた!という記事を発見。
ただ、これは「原爆で破壊された広島の街並みや生活」の絵で、被爆者を描いたものではない様子。

原爆資料館の落葉裕信学芸員は「米軍に接収されたとみられ、米国が絵も貴重な資料とみていたことがうかがえる。
 初期の被爆状況を伝える貴重な資料」と分析している

と記事にあったので、もしかして資料館に所蔵してあるのかな〜と話を伺いに行ったら、その絵は無いそうで。
アメリカで田辺さんが発見したあたりをもう一度さがしてみたら、現存していないかな、と思ったりします。

原爆之図よりさらに前、おそらくもう亡くなっているだろう被爆者の様子を伝えるものが存在しているのなら、
ぜひ広島で保存して、展示して後世に伝えて欲しいですね。

« 2019年9月 | トップページ